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他人の人生を生きるのは死んだも同然 [人生論]

私は死ぬときに、

「もっと冒険しておけば良かった」

とは思いたくない、と思っています。

人に悪く思われたり、嫌われたり、
そんなことを怖れて、自分がしたい
ことをしない。

そんなのは嫌だ、と思っています。

だって、自分がしたいことをしない
んだったら、何のために生きている
のでしょうか。

言いたいことも言わず、やりたいこと
もやらず、自分の心を押えつけて。

いつも喜びは先送り。

やりたいことをやれない。

好きな人に好きとも言えない。

傷つくことを怖れて、失敗にビビって、

チャレンジをしない。

起こるか分からないことにビクビク
して、リスクでないことをリスクと
考え、

安全安心無難な人生。

それは果たして、生きていると言える
のでしょうか。

そうやって生きて、生きながらえて、
一体何の意味があるのでしょうか。

いつか、私たちは死にます。

どうせ、死にます。

その運命を変えることはできないし、
いつ終わりが来るか分かりません。

だからこそ、生きたいように
生きるんです。

この人生から楽しみを、喜びを、
搾り取るようにして生きるんです。

私なんて、世間の言う「普通」を全く
無視して生きています。

だから、人から嫌われたり、批判さ
れたりすることだってあります。

でも、だから何なのでしょう。

そんなのは無視だし、どうでも良くて、
自分の人生には関係ないんです。

私は私の生きたいように生きるだけ。

人には人の価値観があるから、全員に
好かれたり、認められりすることは
できません。

全員に好かれる、認められる生き方
というのは、

八方美人になって、自分を押し殺す
生き方です。

それでは、本当の充実感、生きている
実感は得られません。

自分の人生を生きるとは、嫌われる
覚悟を持つということでもあります。

私はいつだって矢面にガンガン立って、
ガンガン前に進んでいっています。

傷だらけになったって、前に進んで
いきますよ。

絶対に止まりません。

それが自分の生き方だから。

私は自分の心に従って生きていること
を誇りに思っています。

そうやって生きている自分自身が
好きです。

嫌われたらどうしよう、批判されたら
どうしよう……

どうもしない。

好きなように生きる。

それだけ。

ただ、それだけ。

だって、人はいつか死ぬんだから。

何を怖れることがあるのでしょうか。

一体、何にビビっているのでしょうか。

もっと死を直視していいと思うんです。

その瞬間に、生が輝くから。

死は絶望だけでなく、希望を与えると
思っています。

死があるから生が輝き、

終わりがあるから今が輝く。

いつか終わるんだという絶望的な
自覚から、この生を最大限輝かせ
ていくんだという希望が生まれる。

やりたいことを、やりたいだけ。

やりたいように。

好き勝手生きる。

それができる時代なのだから、
楽しんで生きましょう。

他人の人生を生きるのは終わり。

どんどん冒険して、傷だらけに
なって、泥だらけになって、

死ぬときに、ボロボロの自分に
「お前は最高だ!」と言えたら
それでいい。

それができたら、笑って最期を
迎えることができるのかなと思い
ます。


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本質を見失うな! [人生論]

受験生がよく犯してしまう間違いがあります。


それは、「本質を見失うこと」です。


例えば、ノートを取ること。参考書を繰り
返すこと。問題演習すること。過去問を解
くこと。


これらは全て、「手段」ですよね。


でも、多くの受験生はこれらが「目的」
になってしまいます。


なぜノートを取るのですか?復習して、
知識を頭に残すためですよね。


では、ノートを存分に使って、ボロボロに
なるまで読み込んでいますか?十分活用で
きているでしょうか。


ノートを取って満足する人が多いのが現実
なのです。


つまり、手段にすぎないものを目的と勘違い
してそこで終わってしまうということ。


参考書を繰り返すのも、問題演習するのも、
それ自体が目的ではありません。


それらは手段であって、目的はさらにその
先にあるのです。


目的は人によって、場合によって異なります。


知識を定着させるためかもしれないし、初見
の問題に挑むトレーニングかもしれないし、
問題点を洗い出すためかもしれない。


ただ、言えるのはそれらが本当の「目的」
だということ。


成績の伸びない受験生は、手段にすぎないもの
を目的と考えてしまい、本当の目的を達成する
ことができていないのです。


それは大学受験それ自体についても言えます。


大学は、「手段」でしかありません。大学は、
何があっても目的にはなり得ません。


しかし、大学が目的になってしまっている人
がいかに多いか。


受験が終われば勉強はおしまい、受験が終わ
れば努力するのはおしまい、後は遊ぶだけ。


それは、大学を目的と考えた人に待っている
「悲劇」です。


悲劇なのです。


なぜなら、その人の人生はそこで止まってしまう
から。


後は、流されるがまま、されるがまま。


社会の風潮や友達の意見の「奴隷」になって、
自分自身は思考停止状態で何も考えておらず、


結局、そうやって選んだ道に不満を抱えて、
金曜日の晩には友人とお酒を飲みながら人生
に対する愚痴をこぼす毎日を送ることになって
しまいます。


大事なのは、手段である大学を使ってどれだけ
自分の人生を進化させるか。最高の人生を生き
るか。


大学合格はスタートです。ゴールなどでは
ありません。


中継地点と考えてもいいかもしれません。


とにかく、手段と目的を間違えないこと。


あなたは手段である大学をどう使っていくか考
えていますか?自分の人生をどうしたいのですか?


受験勉強においても、人生においても、手段と目的
を間違えないようにしましょう。


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あなたがいることで救われる人は必ずいる [人生論]


「就活自殺」というのが一時期話題
になりましたね。

今も、あるのだと思います。

で、思うのは、これほどヤバイこと
はないということ。

何でそんなことが起こるかというと、

「就職」という自分の外にある価値観
に自分の価値を依存させすぎてしまう
から。

就職に失敗してしまえば、一度レール
からこぼれ落ちてしまえば、もう自分
には価値がない。

そんな風に強く思ってしまう。

そして、そう思ってしまうのは、

「就職」というものに自分の価値を
依存させるように教え込まれてきて
しまったからです。

例えば、同じことは「学歴」について
も言えるでしょう。

高学歴の人間は価値がある。

低学歴の人間は価値がない。

そうやって、人間の価値が学歴と
いうものに支配されたなら、

最終的に人間は「死」まで追い込まれ
ることもあります。

そこまでいかなくても、学歴に強く
価値を置きすぎることで、

ずっと受験に固執して何年も浪人して
しまったり、

いつまでも学歴にコンプレックス
があったり、

無用な劣等感に苦しめられながら
生きるようになります。

学歴で人間の価値を計る必要はあり
ません。

大学は「手段」です。

自分がやりたいことがあって、それ
を実現させるための「場所」です。

より良い場所を目指して日々努力
することは大事なことで、

上を目指すことは素晴らしいことです。

それを否定しているのではありま
せん。

そうではなく、自分以外の外側
にあるもの「だけ」で自分の価値
を計ろうとすれば、

いつまでたっても不安で、自信が
持てず、自分を好きなれない状態
が続く、ということを言いたいん
ですね。

そのような見方は、最悪の場合、
人の命すら奪ってしまいます。

また、自分を傷つける人は人を
傷つけます。

例えば、学歴でも就職でもいいで
すが、

そこで上手くいかなった場合に、
周囲の人も学歴と就職先で人間
を見る人ばかりであったなら、

どんどん自分を責め、自分を嫌う。

その結果、人を攻撃するように
なってしまうかもしれない。

実際に、今の社会ではそういうこと
が起こっていますね。

人は自分の中に愛があれば、人
を傷つけるようなことはしません。

ここはすごく大事なところです。

自分の中に愛がないから、そう
なるし、自信が持てないし、やり
たいこともやれないんです。

人を救うとか、社会を変えるとか、
そんな大それたことはちっぽけな
私にはまだできないかもしれません。

ただ、私が今考えていることを
伝えることはできます。

もし今、自分には価値がないとか、
自分を好きになれないとか、そう
思っている人がいたら、

生きているだけで価値がある、と
言いたい。

あなたがいることで救われる人は
必ずいる。

好き勝手生きているだけで、人の
ためになれるんです。

このあたりのことも詳しくまた
話していきたいと思っていますが、

価値のない人間などいません。

あなたはあなたであるということ
そのことによって、価値があるん
です。

私は、はっきり言って、普通の人間です。

しょぼくて、ちっぽけで、ビビリです。

ビビリだから考えてきたし、学びました。

自分が嫌いで自分に価値があると
思えなかったから、

何が本当に大事なのか、ということ
が分かるようになりました。

その結果、今、いっちょまえに、
少し恥ずかしがりながら「愛が大事」
なんてことを言っています。

ずっと、内面的な戦いを日々続けて
きました。

弱虫だからです。

でも、弱虫だから、同じように
苦しんだりする人も気持ちも
分かります。

ホント、「大丈夫だから」と言いたい。

この記事が、たった一人でも
心に何か残せたなら嬉しいです。

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自分が信じたものが真実 [人生論]


基本的に、人生に客観的な保証は
ありません。

受験なんかまさにそう。

勝負の世界に保証なんて存在しない。


そんなものは客観的に最初から
決まっているものではなくて。

偏差値50からだったら大丈夫だよ!

とかはありません。

30からでも合格する人はするし、
60からでも合格しない人はしません。

合格できるかどうかは自分が決め
ることであって、

誰かに聞くものでもないし、決まって
いるものじゃない。

自分が「できる!」と信じれば良い。

信じたものが真実になる。

そういうものだと思っています。

客観的に決まっているのではなく
て、自分が信じたものが現実になる。

すなわち、自分が信じたものが真実。

人に「無理!」と言われても、そんな
のは関係なくチャレンジしたらいいん
ですよね。

おそらく、私に「合格できますかね?」
と聞く人は、私が「厳しいですね」
と言ったら、やめちゃうんです。

それって、まずいと思いませんか?

そこに自分の意志はないし、自分
の「絶対にやってやる」という気持ちはない。

自分にとっての真実がない。

他の分野でも、権威ある人が「無理
です」とか言っているとやめてしまうとか。

どうでもいい外野がヤイヤイ言って
きたら、自分がやりたいことをやめてしまう。

これは本当にもったいないこと
だし、そうやって自分の人生の
主導権を誰かに奪われてしまって
いるから、上手くいかない。

上手くいかないし、生きている充実感
もない。

それは最初から外に保証を求めるからです。

客観的にできると分かっていること
だったらやろう、という姿勢です。

その生きる姿勢。

そこを根本的に見直さないと、
自分が本当に求めることは
手に入らなかったり。

だって、今の自分にできることなん
て、たかが知れていますよね。

今の自分にできることの中に
心からやりたいと思えること、
心から望むものはないかもしれない。

今の自分にできることを考えていたら、

現状維持を続けるだけです。

つまり、外部に保証を求めて生きて
いたら、現状を維持し続けるだけだ
ということ。

好きな人ができても、

「ううん、あの子が自分を好きなら…」

とかなんとか言ってうじうじして
いる間に、

肉食系男子にその子を奪われていく。

で、陰でぐちぐち文句を言うだけ、とか。

「あいつは女好きだ!」とか言ってみたり。

それは、負け惜しみ。

自分が、保証のない世界に飛び込む
ことができなかったから。

自分自分を信じる心を保証とする
ことができなかったから。

もちろん、飛び込むのは怖いし、
上手くいく保証を欲しがる気持ち
も分かります。

私にだって当たり前ですが、そう
いう気持ちはあります。

でも、その気持ちに支配されない
よう努力しています。

その気持ちに支配されてしまっては、
何の成長もなくなってしまうから。

チャレンジができなくなる。

逆に、上手くいくか分からない
ことにチャレンジをしていく。


上手くいく保証なんて全くない。

でも、飛び込む。

自分自身が、自分ならできると
思っていたから。

その姿勢で生きることによって
少なくとも経験を積むことができ
るので、どんな結果になろうとも、

本当の意味での失敗ではない。

本当の失敗は、成長しないこと、
成長する機会を逃すことだと
思っています。

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合格する人と不合格する人の違い [人生論]

これまでたくさんの受験生を見てきて、

合格する人も、不合格になる人も、
たくさん知ってます。

その中で感じることがあります。
それは、合格の最低条件とも言える
ものなのですが、

自分の人生に自分が責任を持っている

ということ。

合格しない子は、何かと自分以外の
もののせいにする傾向を持っています。

予備校がどう、参考書がどう、家庭
環境がどう、親がどう、周囲の人間、
先生がどうこう…

という感じで、話がいつも自分以外
のものなのです。

その気持ちはもちろん理解できる
ものなのですが、でも、合格したい
ならそういう考え方は手放さないと
いけない。

予備校は授業さえ受ければ合格でき
ますというような、「私たちが責任
を持ちます」みたいな売り文句の様
に聞こえて、違和感を覚えていました。

勉強するのは自分なのに、失敗して
落ち込むのも自分なのに、なんで
予備校に全部任せなければいけないんだろう。

予備校が責任とってくれるわけ
ではないのに…と思っていました。


結局、受験するのは自分。

人生を生きているのは、自分なわけです。

何か自分以外のものに依存するので
はなくて、自分が責任を持って自分
の人生を生きる必要がある。

自分以外のものに人生の舵を
握らせてはいけません。

結局は、自分の頭で考えなといけない。

自分で人生の道を選ばないといけない。

最後は、自分。

人は弱い生き物ですから、何かに
依存したくなるもの。

誰かや何かが、自分の人生を良く
してくれる。

そう、期待します。

もちろん、人生を良くしてくれる
ものはたくさんあるのだけれど、

でも、最後の最後は自分なんだと
いう意識を持っておくことが大事。

誰かが何かしてくれることを期待
しても、いつも誰かが何をしてく
れるわけではありません。。

自分を合格させるのは、自分だけです。

私があなたを合格させるのではなく、
あなたを合格させるのは、あなたしかいない。

私はあなたに必要なノウハウや考え
方を与えます。

しかし、最後の最後、やるかやらないか
はあなた次第。

必要なものが揃ってもやらないなら、
合格はできません。

結局、最後は自分なわけですね。

自分自身がどう生きるのか、という問題。


受験生は、もう18歳とか19歳とか、
もう大人なわけであって、自分の頭で
考えることを学ばないといけないし、

自分で考えるからこそ、今自分が
何をするべきなのか理解できる。

理解できるから、勉強に身が入る。


自分で考えるというプロセスを
入れることが大事なんです。

必要なことを教えられたらあとは
自分で考えることもしないといけ
ないと思っています。

だって、自分の人生なんだから。

自分が何をやったか、何をやらなかった
かで人生は決まる。

私が手取り足取りやっても、思考停止
の人間を大学に送り込むことになるだけ。

何でもかんでもやってもらえると
思っている自分の頭で考えない人
が大学に行くだけ。

しかも、「やってもらっている」という
意識がやる気や本気を奪う。

自分で考えたものじゃないから
本気になれないし、自分で考え
たものじゃないもので受験して、

もしダメだったら後悔しませんか?

自分で選んだものじゃないんです。

人にやってもらったものなんです。



勉強法、考え方、思考法、参考書学習の
方法、食事法、運動、睡眠、やる気、
集中力、記憶、生活習慣、

受験に必要なことは全て教えます。

やる気が続くように、ほぼ毎日
記事を書いてます。


あなたがあなたの夢を叶える
お手伝いをするためにあるものです。

でも・・・・・

人生を、誰かや何かのせいにしている
人は、絶対に本気になれない。

そして、本気でない人は、何も成し遂げる
ことはできません。

この記事を読むことで少しでも
あなたの心に火をともせればと思います。


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自己投資をしよう! [人生論]

私は毎日何かしらの本を読んでいます。

それは昔からずっと。もう本を読む
ことが自然な行いになっていて、
生活の一部です。

勉強は受験生や大学生だけのもの
ではなく、生涯勉強し続けていく
ものだと思っていますし、

勉強しなければ今の時代を生き抜く
事は難しいです。

自分がやりたいことをやる、好き
なことをやる。

で、あるならば、徹底的に勉強する
ことです。


自分が輝ける分野の勉強を誰より
も続けること。

私もそうやってきましたし、今だに
勉強をやめません。やめる気はあり
ません。

だから、誰にも負けません(勝ち
負けではないんだけど。気合いの
問題)。

その結果、夢を実現させ続けること
ができています。

本当の意味での自己実現をしている
真っ最中です。


これからさらに自己実現を続けて
いくつもりです。

そのために、精進してこれからも
勉強を続けていく次第です。

あなたも、夢があるならその夢の
ために学び続けましょう。

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人生の意味とは? [人生論]


人は生きる気力を失って
いくと、さかんに「意味」を求める
ようになります。

先に、意味を求める。

そういう人も最近増えています。

先に意味を求めるのは、生きる
エネルギーを失っている証拠です。

受験勉強でも同じで、

「受験勉強に意味はあるのでしょうか?」

という子は、大抵勉強していません。

勉強するエネルギーがなくなってきた
結果、

「意味はあるのか?」と疑問を持ち、
勉強できない自分を正当化しようと
するわけ。

「意味はあるのか?」という疑問の
本質は、その行動を取りたくない、
取るエネルギーが自分にはない、
ということ。

そういう人は生きる
エネルギーを失っています。

意味というものは、やっている中で
自然に生まれるものです。

受験勉強の意味は?

大学に行く意味は?

勉強すれば分かります。


分かるというか、創るのです。

そもそも意味なんてものは、人間が
作り上げたものです。

人生に意味があるのか?と聞かれれば
多分ないでしょう。

そもそも意味なんてない。

でも、僕らは意味のない世界で生きる
ことには耐えられない。

自分のすることに意味があって欲しい
と願います。

自分の存在が意味あるものであって欲しい。

だから、意味を作ったのです。

最初から意味があったのではない。

意味を自らが創り出したわけ。

そして、それでいいのだと思います。

自分が満足できる、自分が生き甲斐を
感じることができる、自分にとっての
意味を創りあげれば良い。

人生の意味は?

自分で決めなさい、そんなものは。

ということなのです。

意味は自分で決めればいいし、だから
こそ自分の好きなように生きればいい。

最初から用意されているようなもの
ではない。

最初から用意されていると思って
探し求めても、何もない。

最初から用意されていると思って
いるから、先に意味を求める。

でも、そもそもそんなものはない
のだから、結局は「何もしない」
という選択になる。

「くだらない」と思うことが増える。

結果、生きる気力を失う。

よく、「自分探しの旅」というもの
がありますが、

インドに行ったところで、何もない
でしょう。

インドは何も与えてくれない。

与えてくれるものがあるとすれば、
自分と向き合う機会。自分を知る機会。

ただそれだけ。

よくある自分探しの旅に、そこまで
その人が求めるような意味があると
は思えない。

自分は今目の前にいるのであって、
インドにはいない。

まー、何ともややこしい話に
なりました。

自分でも、こんな話になるとは思い
ませんでした。

しかし、なってしまったものは仕方ない。

今から書き直すには時間も気力もありません。

そして、最後に。


踊る阿呆に見る阿呆

同じ阿呆なら踊らにゃ損損


という言葉があります。

結局、人間はみんな阿呆なのかもしれない。

でも、どちらにせよ阿呆なら、踊った方が良い。

シラケて人生という舞台を踊らない
より、踊った方が楽しい。

自分が知的であると思い込み、人生
にシラケている人こそ、本当の阿呆でしょう。


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人生を楽しもう! [人生論]

結局、人生っていうのは楽しむため
にあると思っています。

もちろん、「楽しい」っていうのは
色々ありますね。

自己実現の楽しさもあるし、人と
心を通わせる楽しさもあるし、レジャー
の楽しさもある。

色々あります。

で、私はそのどれも否定しません。

どれも、味わえばいいと思う。

目標を達成して理想の人生を生きれ
ばいいし、友達や恋人と楽しい時間
を過ごせばいいし、

海外旅行に行って、綺麗な景色を
堪能し、スキューバダイビングも
すればいいと思います。


アイドルが好きな人は、アイドル
のコンサートで完全燃焼すればいい。笑

好きなことをしたらいいんです、
ホントに。

自分の好きを大事にしたらいいし、
好きなことを好きと言えばいい。

私なんかは、ホントに家で一人で
いても十分楽しいんですよね。

本があって、ノートがあって、
PCがあれば、それで満ち足りる。

本を読んで、思索して、気づいたこと
を発信する。

もう、それさえできればホントに
幸せなわけ。

私はね。

それは私の楽しさだから、他の人には
理解されないかもしれない。

でも、それでいい。他の人に理解され
る必要なんかない。

あなたが好きなことを大事にすれば
良くて、他人がどう思うかなんか
どうでもいいわけ。

人生を、楽しみ尽くせばいい。

好きだから、自然に情熱を持つこと
ができる。

で、私はこの「好き」っていう感情
はホントに素敵なものだと思ってます。

対象は何でもいいんだけど、好きに
なれるってこと自体が尊い。

好きっていう感情を持つことができる
こと自体が、ものすごい喜び。

だから、大事にして欲しい。

自分の「好き」を。

好きなもののためだったら頑張れる。

好きな人のためだったら頑張れる。

あなたが自分の好きを大事にする
ことで、人生も変わっていくはず
なんです。

好きだったら、頑張れるから。

前に進めるし、行動できる。

だから、好きを大事にして欲しい。

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未来は良くなると信じられますか? [人生論]

私たち人間は、過去に縛られて生きて
しまっています。

いや、正確に言うと、記憶に縛られて
生きています。

もっと正確に言えば、自分で捏造した
記憶に縛られて生きています。

記憶というものは曖昧なもので、いく
らでも捏造することができるものです。

例えば、自分は親から愛されていな
かった。

だから今、色んな人間関係上の問題
が起こっている、という物語を持った
とします。

すると、今までの過去の記憶の中から
親に愛されなかったと感じるような
出来事を思い出し、愛されていなかった
ような解釈の仕方をします。

そうすることで、今の自分の問題は
自分のせいではない、仕方のないこ
とだ、と自分に納得させます。

本当は愛を感じる場面もあったし、
捉え方によってはそれも愛なんだ
と受け取れそうなものも、

そういう受け取り方を排除して、
自分が決めた通りの過去を思い
出します。

過去に起きた出来事それ自体を
変えることはできません。

しかし、「何を思い出すか」「その
記憶をどう解釈するか」は今決める
ことができます。


===============
未来は良くなると信じられるか
===============


もっと言えば、今が最高なら過去
も最高のものになります。

今の自分が好きなら、過去に起こ
ったことに感謝できます。

仮に今の状況が最高だとしましょう。

では、今の状況を作ってきたのは
何でしょうか。

過去の出来事の積み重ねでしょう。

その過去の出来事の何が欠けても
今はありません。

何一つ欠けてはいけなかったのです。

ということは、最高の今は過去の
全ての出来事のおかげです。

最高の今を生きるために、過去の
どの出来事も欠けてはいけなかった
のです。

嫌だと思ったこと、傷ついたこと、
そんな経験も全て、必要だったんです。

どの出来事がたった一つでも欠けて
いれば、今のあなたはいません。

今の状況はありません。

あなたが憎んでいる人、物、事。

何が欠けても今のあなたはいません。

それらのおかげで、今のあなたは
存在します。

さらにこの話をもっと進めてみま
しょう。

未来は最高のものになると決めて
みてください。

今、決めてください。

未来は最高のものになると確定
しています。

そう信じてみてください。

すると、今現在について、どう
捉えることができるでしょうか。

未来が最高のものになると決まって
いるのなら、現在も最高なのです。

最終的に自分は大成功すると信じる
なら、今の状況はそのために必要だ
から起こっています。

どんな苦しい事も、どんな壁も、
大成功のために必要だから起こって
います。

全て、必要だから起こっています。

そう捉えたら、今に悲観すること
はあるでしょうか。

ありません。

今の出来事は全て、最高の未来
につながっているからです。

とするならば、問題となるのは
根拠なく未来を信じられるか、です。

私が常日頃から「できる!」と言う
のもこういった理由からです。


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自分が進化して、成長いたい人へ [人生論]

読む前に一言 

今回は少し毒舌が入るかもしれないので注意!






=========
被害者面をするな
=========


うちの親が原因で…

家にお金がないので…

あいつのせいで

あいつが悪い

不景気だから

会社のせいで

女なんてくだらない

私は被害者だ


あげくの果てには、


天気が悪いから、気分が悪い


………。


世の中には「被害者面」した人が、
山のようにいます。

こういう人たちには、

被害者面するな!被害者の人生
から卒業しろ!

と言います。

なぜなら、被害者面した人が人生
を変えることなど絶対にできない
からです。

そういう人はいつも誰かのせい、
何かのせいにして、自分の課題
と向き合うことから逃げています。

根本的に人生を変えるには、

自分が変わるしかないのに。

人生で起こることは全て、自分
が引き起こしていることなのに。

自分が変われば他人も変わります。

自分が変わることでしか何も
変わることはないわけです。

なのに、いつまで経っても赤ちゃん
のように泣きわめき、誰かが何
かをしてくれることを期待します。

お口を開けて、

「おい、あーんはまだか!おいら
は腹ペコだぞ!」

と喚いて、いつまで経っても受け身。

自分からは動かない。

いつも待ってる。

「いい女が、声でもかけてくれないかな…」

そんなこと言っている間に、いい男
がその美女とディナーを楽しんでいます。

何年も、人生に何かが起こること
を待ってる。

何かいいことないかな。

待っている人に何かが起こるなんて
ことはありません。


================
被害者でいることが最大のリスク
================


「動くのはリスクがあるから…」

動かないで現状を維持することが
リスクです。

「リスクがあるから、貯金してます…」

貯金して自分に投資することをせず、
自分を磨かないことが最大のリスク
です。

もっと言えば、被害者面をして
自分の人生の課題と向き合わず、

自分を成長させることなく、

 誰かの悪口。

終わりです。

そういう風になったら、もう救えない。

「ああ、こういう人間はマジで
気持ち悪いな…関わりたくもない」

と嫌悪感を抱く人が正常です。

被害者面している人を見て、

「いいから、自分のことちゃんとやれよ」

とイライラしてしまう人は、上手くいきます。

芸能人のワイドショーを見て、

「人の人生の穴をつっついて傷つける
ことで、このリポーターたちは飯食っ
てんだな。お前に穴はないのか。」

と哀れみの感情が芽生えるくらいが
普通だと思います。

被害者になって共感していてはダメです。

絶対に、それでは人生は好転しない。

そんな人たちの中にいては、どん
どん自分もダメになっていきます。

人生が上手くいっている人は、
被害者面はしない。

 上手くいかない人は、

「ああ、知っていることばかりだった!
損した!被害者!わあ!」

と言います。

成功する人は、

「ふむ、理解が深まった。知っている
つもりだったけど、分かっていなかった。
一つでもいいから実践して人生を良く
していこう」

と考えます。

この二人の人生に圧倒的な差が生まれる
は当然のことです。

古典を紐解けば、時代を作ってきた天才
たちが、そうやって自分の問題を他人の
問題にしてしまう人を、「愚か者」と
呼んでいます。

愚か者が慰めあって生きていても、
何も変わることはなく、どんどん
人生は悪くなっていくだけです。

ふう、今日はなんて毒舌なんでしょう。


===============
自分の人生を変えるため、動け!
===============


ブログを書き始めたときからずっと
言い続けていること。

それは、

自分の人生を輝かせるのは、自分

ということ。

人生を良くしたいなら、自分が
動くしかない。

自分が変わるしかない。

それしか、方法はない。

今の現実は全て、自分が引き起こしたこと。

自分が招いたこと。

自分が進化して、成長して、
乗り越えていくしかない。

被害者面したところで、何も変わらない。

変わりたいなら、動くこと。

誰のせいにもせず、自分の人生の
責任を、自ら引き受けること。

その根本がない限り、何をやって
も上手くいくことはない。

自分の人生を、自分が引き受ける。

その覚悟が、全てを変えていきます。
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