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自分が信じたものが真実 [人生論]

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基本的に、人生に客観的な保証は
ありません。

受験なんかまさにそう。

勝負の世界に保証なんて存在しない。


そんなものは客観的に最初から
決まっているものではなくて。

偏差値50からだったら大丈夫だよ!

とかはありません。

30からでも合格する人はするし、
60からでも合格しない人はしません。

合格できるかどうかは自分が決め
ることであって、

誰かに聞くものでもないし、決まって
いるものじゃない。

自分が「できる!」と信じれば良い。

信じたものが真実になる。

そういうものだと思っています。

客観的に決まっているのではなく
て、自分が信じたものが現実になる。

すなわち、自分が信じたものが真実。

人に「無理!」と言われても、そんな
のは関係なくチャレンジしたらいいん
ですよね。

おそらく、私に「合格できますかね?」
と聞く人は、私が「厳しいですね」
と言ったら、やめちゃうんです。

それって、まずいと思いませんか?

そこに自分の意志はないし、自分
の「絶対にやってやる」という気持ちはない。

自分にとっての真実がない。

他の分野でも、権威ある人が「無理
です」とか言っているとやめてしまうとか。

どうでもいい外野がヤイヤイ言って
きたら、自分がやりたいことをやめてしまう。

これは本当にもったいないこと
だし、そうやって自分の人生の
主導権を誰かに奪われてしまって
いるから、上手くいかない。

上手くいかないし、生きている充実感
もない。

それは最初から外に保証を求めるからです。

客観的にできると分かっていること
だったらやろう、という姿勢です。

その生きる姿勢。

そこを根本的に見直さないと、
自分が本当に求めることは
手に入らなかったり。

だって、今の自分にできることなん
て、たかが知れていますよね。

今の自分にできることの中に
心からやりたいと思えること、
心から望むものはないかもしれない。

今の自分にできることを考えていたら、

現状維持を続けるだけです。

つまり、外部に保証を求めて生きて
いたら、現状を維持し続けるだけだ
ということ。

好きな人ができても、

「ううん、あの子が自分を好きなら…」

とかなんとか言ってうじうじして
いる間に、

肉食系男子にその子を奪われていく。

で、陰でぐちぐち文句を言うだけ、とか。

「あいつは女好きだ!」とか言ってみたり。

それは、負け惜しみ。

自分が、保証のない世界に飛び込む
ことができなかったから。

自分自分を信じる心を保証とする
ことができなかったから。

もちろん、飛び込むのは怖いし、
上手くいく保証を欲しがる気持ち
も分かります。

私にだって当たり前ですが、そう
いう気持ちはあります。

でも、その気持ちに支配されない
よう努力しています。

その気持ちに支配されてしまっては、
何の成長もなくなってしまうから。

チャレンジができなくなる。

逆に、上手くいくか分からない
ことにチャレンジをしていく。


上手くいく保証なんて全くない。

でも、飛び込む。

自分自身が、自分ならできると
思っていたから。

その姿勢で生きることによって
少なくとも経験を積むことができ
るので、どんな結果になろうとも、

本当の意味での失敗ではない。

本当の失敗は、成長しないこと、
成長する機会を逃すことだと
思っています。

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