ロジックの出発点=『アイ』 [英語長文]
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ロジックの出発点には「アイデンティティ」があります。「個」の意識であり、『自我』です。もっとはっきり言えば、IとYouです。
IとYouは、相手がだれであっても、変わることはありません。相手が親であれ、兄弟であれ、先生であれ、大統領であれ、また友人であれ、召使であれ、IはI、YouはYouです。
ところが、日本語には、そうしたアイデンティティを示す語がありません。
『私』は『僕』『おれ』『小生』『拙者』、そして『あなた』は『君』『お前』など、相手との関係によってさまざまに変化します。
そもそも、「私」は「公」に対することば、つまり公の場での呼称にすぎませんし、「あなた」は「此方(こなた)」=「こちら」に対する「彼方(あなた)」=「あちら」、つまり方向を示すことばでしかないのです。
英語ネイティブの峻烈な自我意識は、wholly other『絶対他者』と対峙し、パーソナルな関係を築くことから生まれます。wholly otherとは、Godのことです。
これに対して、日本人にとっての「神様」は、「100円お賽銭をあげるから、願いをかなえてくれ」と、気軽に頼める友達のような存在ですね。こうした『神』とGodは、決定的にちがいます。
英語ネイティブに「Godはどこにいますか?」とたずねると、まっすぐ垂直真上に腕をのばし、頭上をさします。絶対他者であるGodは、創造主であり、人間の主人です。都合のいい物々交換の取引など、できるはずがありません。
逆に、日本人が『神』と聞いて、『斜め上』=『雲の彼方』をイメージすることはあっても、垂直真上を仰ぐことは、おそらく日本人のキリスト教徒でもないはずです。
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Godは『絶対他者』=『永遠のYou』です。絶対に、人間はGodにはなれない。垂直真上から人間をじっと見つめるGodとパーソナルな関係を築いていくことこそが、彼にとっての信仰なのです。
おそらく、本当の意味での英語理解はここから始まるのではないかと、僕は思います。『絶対他者』としてのGodがわからないかぎり、ユダヤ・キリスト教文化圏を真に理解することはけっしてできないだろうと思います。
英語の世界では、みな一人一人がIです。そして、まわりはみな別のI=Youです。IとYouは、お互いにわかりあえない。そのIとYouが、ことばを尽くして説得し、互いに理解し合おうとする心の習慣がロジックなのです。
『察し』という特殊日本的な『心の習慣』に従っている以上、英語が読めないのは当たり前です。少なくとも英文を扱うときの『ロジック』の大切さをわかってもらえたでしょうか?
最後に、英語ネイティブと日本人の『心の習慣』を、それぞれ図にして整理しておきましょう。
英語 クレーム⇒データ⇒ワラント
日本語 データ ウソのデータ(タテマエ)であることもある⇒ワラント ‐‐‐‐‐(察し)‐‐‐‐‐⇒クレーム
日本語の『察し』は、とても美しく豊かなコミュニケーションです。しかし、ますます国際化する世界のなかで、いやおうなく他者と交わることを余儀なくされ、僕たちがもはや『察し』だけでは通用しない時代に生きていることも、また紛れもない事実です。グローバル時代の知的護身術として『三角ロジック』を身につけることは、まさに火急の課題と言えるのです。
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ロジックの出発点には「アイデンティティ」があります。「個」の意識であり、『自我』です。もっとはっきり言えば、IとYouです。
IとYouは、相手がだれであっても、変わることはありません。相手が親であれ、兄弟であれ、先生であれ、大統領であれ、また友人であれ、召使であれ、IはI、YouはYouです。
ところが、日本語には、そうしたアイデンティティを示す語がありません。
『私』は『僕』『おれ』『小生』『拙者』、そして『あなた』は『君』『お前』など、相手との関係によってさまざまに変化します。
そもそも、「私」は「公」に対することば、つまり公の場での呼称にすぎませんし、「あなた」は「此方(こなた)」=「こちら」に対する「彼方(あなた)」=「あちら」、つまり方向を示すことばでしかないのです。
英語ネイティブの峻烈な自我意識は、wholly other『絶対他者』と対峙し、パーソナルな関係を築くことから生まれます。wholly otherとは、Godのことです。
これに対して、日本人にとっての「神様」は、「100円お賽銭をあげるから、願いをかなえてくれ」と、気軽に頼める友達のような存在ですね。こうした『神』とGodは、決定的にちがいます。
英語ネイティブに「Godはどこにいますか?」とたずねると、まっすぐ垂直真上に腕をのばし、頭上をさします。絶対他者であるGodは、創造主であり、人間の主人です。都合のいい物々交換の取引など、できるはずがありません。
逆に、日本人が『神』と聞いて、『斜め上』=『雲の彼方』をイメージすることはあっても、垂直真上を仰ぐことは、おそらく日本人のキリスト教徒でもないはずです。
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Godは『絶対他者』=『永遠のYou』です。絶対に、人間はGodにはなれない。垂直真上から人間をじっと見つめるGodとパーソナルな関係を築いていくことこそが、彼にとっての信仰なのです。
おそらく、本当の意味での英語理解はここから始まるのではないかと、僕は思います。『絶対他者』としてのGodがわからないかぎり、ユダヤ・キリスト教文化圏を真に理解することはけっしてできないだろうと思います。
英語の世界では、みな一人一人がIです。そして、まわりはみな別のI=Youです。IとYouは、お互いにわかりあえない。そのIとYouが、ことばを尽くして説得し、互いに理解し合おうとする心の習慣がロジックなのです。
『察し』という特殊日本的な『心の習慣』に従っている以上、英語が読めないのは当たり前です。少なくとも英文を扱うときの『ロジック』の大切さをわかってもらえたでしょうか?
最後に、英語ネイティブと日本人の『心の習慣』を、それぞれ図にして整理しておきましょう。
英語 クレーム⇒データ⇒ワラント
日本語 データ ウソのデータ(タテマエ)であることもある⇒ワラント ‐‐‐‐‐(察し)‐‐‐‐‐⇒クレーム
日本語の『察し』は、とても美しく豊かなコミュニケーションです。しかし、ますます国際化する世界のなかで、いやおうなく他者と交わることを余儀なくされ、僕たちがもはや『察し』だけでは通用しない時代に生きていることも、また紛れもない事実です。グローバル時代の知的護身術として『三角ロジック』を身につけることは、まさに火急の課題と言えるのです。
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