SSブログ

日常生活のなかで三角ロジックを使う [英語長文]

スポンサードリンク


英語ネイティブは、子供のころから日常的にディベートをしています。
そんな英語ネイティブが、大学で学び、大学で学んで書いたものが、みなさんが読まなければならない英文なのです。ロジック武装が急務、ということです。

他人が書いたものを読めるようになるには、まず自分が「三角ロジック」をつかいこなせるようにならなければなりません。自分で発音できなければ、英語を聞き取ることができないのと同じです。ふだんから、ふと思いついた意見を、データ・ワラントを添えて論証する訓練をしてみてください。日本語でかまいません。

書店で「この本はおもしろそうだなぁ」と思ったとします。「どのようになぜおもしろそう?」なのでしょうか。それを論証してみるのです。たとえば、こんな具合です。

クレーム:「この本はおもしろそうだ」

データ:「冲方丁(うぶかたとう)の最新作だ」

ワラント:「自分の経験上、冲方丁の作品にハズレはない」



クレーム:「この本はおもしろそうだ」

データ:「平積みにされていて、ポップには『本屋大賞受賞作』と書いてある」

ワラント:「おもしろくなければ売れないし、書店も推さないはずだ」


まだまだ論証できますね。こうしたトレーニングを日常の生活で重ねていってください。それがそのまま、現代文、小論文のトレーニングになり、やがては大きな力となって、みなさんを支えてくれます。

さて、次回からは、いよいよ具体的なロジカルに読む方法を学んでいくわけですが、その前に、日本人の『心の習慣』について触れておきたいと思います。




スポンサードリンク





英語ネイティブの『心の習慣』が『ロジック』だとすれば、日本人の『心の習慣』は『プレ・ロジック』(前論理)です。「前論理」は、「非論理」ではありません。およそ「論理」とは次元を異にする、スーパー・コミュニケーションです。

日本研究では、Haragei(腹芸)として知られています。おなかに「へのへのもへじ」を書いて踊る宴会芸ではありません(笑)。「論理以前」の、いわばことばを超えたコミュニケーションです。僕は、これを「察し」と呼びたいと思います。

予備校の授業で配布したプリントが足りないとき、日本人の生徒は、「プリントが足りません」と言います。でも、よく考えたら、これは「足りない」という事実を述べているだけです。それなのに、先生はあたりまえのように足りない枚数文のプリントを渡します。これが、日本的な「察し」であり、Harageiです。

たとえば、松尾芭蕉の有名な俳句に、「古池や 蛙飛び込む 水の音」があります。この俳句も、ただ事実(データ)を述べているだけです。「古池に、カエルが飛び込む音がする』―英訳したら、味もそっけもなく、英語ネイティブには、なんのことやら、さっぱりわからないでしょう。

実は、この俳句は、英訳自体が不可能です。まず、カエルに冠詞がなく単複の区別もないため、1ぴきなのか数ひきなのか、わかりません。時制もまたしかりで、「飛び込んだ」のか「飛び込んでいる」のか「飛び込もうとしているのか」、とてもあいまいです。こうしたことからも、日本語が「察し」の言語であるということが、よくわかりますね。論理指標がまったくないのです。

いずれにせよ、和歌や俳句は、事実(データ)だけを伝えて、ことばにならない「わび・さび」の世界をHarageiで伝えるものです。詠み手の言い切れぬ情や感動を、Harageiで理解するのです。

スポンサードリンク


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:資格・学び

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
t_ スポンサードリンク

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。