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日本人はロジックを正しく理解していない? [英語長文]

前回までクレーム(主張)について説明しました。

今回は下記リンクのようにデータ(事実)に関して説明します。

http://www.logicalskill.co.jp/logical/triangle.html

たとえば、
It`s a little too hot for this time of year.
「一年のこの時期にしては、ちょっと暑すぎる」

これはHow and why hot?「どのように、なぜ暑いのか?』という論証責任を含むクレームです。
「暑い、寒い」は、まず「歴史的」です。たとえば、僕が幼かった頃、真夏の最高気温といってもせいぜい28℃
ぐらいで、もし30℃を超えたりしようものなら、上を下への大騒ぎでした。ところが、今では夏に30℃を超えるなど、ふつうのことです。

また、「暑い、寒い」は「文化(地域)的」でもあります。同じ日本でも、北海道出身の人と沖縄出身の人とでは、暑さ寒さの感じ方はずいぶん違うはずです。

もちろん、「個人的」でもありますよね。「暑がり」の人もいれば、「寒がり」の人もいます。

「別に暑くは感じないけど、なぜ?」ときかれたら、どう答えますか?

くどいようですが、「暑いから暑いは」は、日本人どうしならともかく、英語ネイティブにはけっして通用しないのです。

データとは、「事実」を一つあげることです。「夏だ」でもいいし、「外では大勢の人が半袖を着て歩いている」でもいい。とにかく、「事実」を一つ述べます。

「事実」といっても、それこそ無数に存在します。なんでもいいのです。その無数にある「事実」から、一つを取り出して述べるのが『データ』です。 

ここでは、「26℃だ」というデータをあげてみることにします。

クレーム:It`s a little too hot for this time of year.「一年のこの時期にしては、ちょっと暑すぎる」

How and why?

データ:It`s 26 degrees centigrade. 「26℃だ」


次は『ワラント』:データの『根拠』についてせつめいしますね。



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ワラント:データの「根拠」

データだけだと、英語ネイティブはまだ納得しません。
ディベートでは、So what?「だから?」と切り返されてしまいます。

「今日は暑い」というクレームと「26℃だ」というデータの「つながり」がはっきりしないからです。
あるいは、「26℃だ」というデータをあげる「根拠」といってもかまいません。なぜ、「26℃だ」というデータを選んだのはなぜなのでしょう?その『根拠』を述べるのが、『ワラント』(warrant)です。

この場合なら、たとえばPhysiology says we feel hot above 24℃.「生理学説によれば、24℃を超えたら
人は暑いと体感する」でOKです。

あるいは、The average temperature for this time of year is 19℃。「この時期の平均気温は19℃です」
でもいいでしょう。

クレーム:It`s a little to hot for this time of year. 「一年のこの時期にしては、ちょっと暑すぎる」

データ:It`s 26 degrees centigrade. 「26℃だ」

ワラント:Physiology says we feel hot above 24℃. 「生理学説によれば、24℃を超えたら人は暑いと体                                   感する」

これで、英語ネイティブは納得します。
1つの意見、主張として認めてくれるということです。逆に言えば、論証責任を果たさない言論を、英語ネイティブは「無責任な放言」として、ここの底から軽蔑します。

「言論の自由」とは、「何を言ってもいい」というものではありません。
論証責任を果たす限りにおいて、どんな意見も一つの意見として尊重する。それが、本当の『言論の自由』です。

ちなみに、「2ちゃんねる」のような巨大掲示板やTwitterに、論証責任を果たさない放言が飛び交っているのは、日本だけなのだそうです。社会学者の宮台真司さんが、アメリカの大学で講義をおこなったさい、「どうしてアメリカでは、2ちゃんねるのような掲示板が広がらないのか?」とたずねたところ、逆に「なぜあのような書き込みができるのか、理解できない」と言われたそうです。やはり日本では、まだまだ『ロジック』が正しく理解されていないのですね。

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相対形容詞とは? [英語長文]

前回の続きをやりますね!

6つの論証責任の公式の中で、これが一番難しいかもしれません。日本語の『〇〇的』という表現はすべて、幕末・明治に英語(ロジック)の翻訳として生まれた『新造漢語』です。

みなさんもきっと『評論用語』には手を焼いてるでしょう。難しくて当然です。
『評論』の『論』とは『ロジック』のこと、もともと日本語の『心の習慣』にはなかった概念ばかりだからです。

では、『相対的』とは、どのような意味でしょうか?そう『絶対的』の逆です。では、『相対的とは?』
イタチゴッコみたいで、キリがありません(笑)。
『絶対的』は、『通歴史的・通文化的・通個人的』ということ。

つまり、『歴史(時代)に左右されない、文化(場所)に左右れない、個人的価値観によって左右されない』ということです。


絶対的=通歴史的⇒歴史や時代を通して不変
      通文化的⇒文化や地域を通して不変
      通個人的⇒個人的な価値観を通して不変

たとえば、white『白い』、black『黒い』、red『赤い』は『絶対的』です。
one『一つ』、two『2つ』、three『3つ』もそう。時代によって、場所によって、あるいは人によって、色や数が変わるということはありません。
あるいJapanese『日本人の』、American『アメリカ人の』、French『フランス人の』これらは『絶対的です。

またmale『男性の』、female『女性の』も生物学的な性差ですから、時代や場所、人によって見方が変わることはありません。

したがって、『絶対的』ということになります。
一方、masculine『男らしい』feminine『女らしい』はどうでしょう?

有名な児童文学『フランダースの犬』の主人公ネロは、貧しいながらも画家になりたいという夢をもち、アントワープの聖母大聖堂に飾られたルーベンスの絵をよく見ると、女性の二の腕や太ももには、セルライト(脂肪のかたまり)が丹念に描かれています。ルーベンスの生きた時代のヨーロッパでは、セルライトが『女らしい美しさ』の象徴だったことがわかります。このように、『男らしさ』や『女らしさ』は、歴史によって変わるのです。

現代においても、パプアニューギニアのある部族のあいだでは、「高くジャンプする」ことが、「男らしい」喜びの表現であり、「歯を指で激しくつつく」ことが、「女らしい」喜びの表現ンおだそうです。

男性が漁をする文化もあれば、女性が編み物をする文化もある。つまり、「男らしさ」や「女らしさ」の基準は、歴史や文化、個人的な価値観によって変わるということ。絶対的ではないのです。

ですから、『通歴史的・通文化的・通個人的』の『通』を取れば、『相対的』です。『歴史的』で『文化的』で『個人的』の『通』を取れば、『相対的』です。『歴史的』で『文化的』で『個人的』。

あるいは、『通』を『特殊』に置き換えてみてください。『特殊歴史的』で『特殊文化的』で『特殊個人的』 歴史(時代)によってさまざま、文化(地域)によってさまざま、個人的な価値観によってさまざま、これが『相対的』ということです。




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『相対的』=  特殊歴史的⇒歴史や時代によってさまざま
         特殊文化的⇒文化や地域によってさまざま
         特殊個人的⇒個人的な価値観によってさまざま

たとえば、「富士山は高い」は『相対的』です。富士山は、たしかに日本では一番高い山ですが、世界では500以下なのだそうです。世界的には「高くない」のですね。

では、「時給5000円は高い」と言えば、どうでしょう?高校生にとっては怪しいほど高い時給です。
しかし、超一流のミュージシャンにとっては、ちょっと安くて受けられない時給ではないでしょうか?
やはり『相対的』なのです。
ほかには、good『良い』、bad『悪い』、beautiful『美しい』、cute『かわいい』・・・・・数え上げたらきりがありません。


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『論証責任』の条件とは? [英語長文]

それでは、英語ネイティブの『心の習慣』である『三角ロジック』を、もっとていねいに説明してみましょう。

http://www.logicalskill.co.jp/logical/triangle.html

このリンク先に飛んで、図をみながら読んでくださいね。

クレーム:論証責任

まず、『主張』=『クレーム』です。日本語で『クレーム』というと『文句』とか『異議申し立て』のことですが、
ディベートでは、『主張』、あるいは『意見』という意味です。もちろん、なんでも言えば主張になるという
わけではなく『burden of proof(論証責任)を含んでいること』が条件になります。


ここで大きな問題となるのが、『論証責任』の定義です。burden of proofというのは、ディベートの重要な概念でHow and why?『どのように、なぜ?』を論証する責任ということです。

英語ネイティブによるディベートを聞いていると、why? It`s your burden of proof?『なぜですか?それはあなたの論証責任です』といった切り返しをよく耳にします。ところが、ディベートの教科書のどこを探しても、その定義は出てこないのです。それは当然と言えば当然で、われわれ日本人も、ふだん「何が意見になるか」を意識して意見をのべているわけではありませんよね?

まさに、そこが『心の習慣』の『心の習』たるゆえんで、何が『意見』となり『主張』となるかは、無意識(心の習慣)が決めているということです。

長いディベートの経験から、僕が抽出したクレームの公式は以下の通りです。



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クレームとなるもの
①法助動詞
②相対的形容詞
③Iを主語にした『主観』を表す動詞⇒I think/I hope/I wish/I wantなど
④分詞
⑤『推量』を表す動詞⇒seem/appearなど
⑥隠喩

これら①~⑥のいずれかを口にしたり、文にしたりすると、How and why?『どのように、なぜ?』という、聞き手ないし読み手の問いに答えなければならない責任、すなわち論証責任が生じます。

なかでも最も頻度が高く、最も重要なのが、①と②の2つで、それらが理解できれば、残りの4つは、なし崩し的に理解できます。ですから③~⑥の公式については、具体的な英文がでてきたところで、そのつど個別に扱うことにして、ここでは最も大切な①と②をくわしく説明しましょう。


法助動詞

法助動詞については、前にせつめいしましたよね?改めてもう一度説明しますと・・・・
助動詞には2つの種類があります。

①それ自体に意味はなく、疑問文や否定文、完了形や受動態といった文法上の形をつくる助動詞
⇒do/have/beなど

②書き手・話し手の主観(心的態度)を表す助動詞
⇒can/will/shall/may/must/should/need/dare/ought toなど

②を法助動詞とよびますが、これがディベートで論証責任をつくる助動詞です。


You should see that movie.
「あの映画はみとくべきだよ」

She will sure be accepted to the University of Tokyo.
「あの子は絶対に東大に受かるよね」

われわれ日本人は、こうした発言をなにげなく口にしますが、英語ネイティブが聞けば、聞き捨てならないクレームですね(笑)ただちに、How?『どのように?』とかWhy?『なぜ?』っと突っ込まれます。なぜなら法助動詞を使っているからですね。

次の記事で『相対形容詞』について説明します!引き続き読んでくださいね!
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英語ネイティブの心の習慣は日本とは違う? [英語長文]

英文を論理的に読むための方法を伝授したいと思います。

論理的(ロジカル)に英文を読むためには、英文の2つの『構造』を同時に追うことが必要です。

『構造』とは、『形』=『機能』のことです。

英語は、『機能主義的』な言語です。英語は、だれが、いつ、どこで、どう読んでも同じ『形』をもっています。

ロジカルに英文を読む一つ目は『一文一文の構成を正確に分析し、把握すること』です。これを『木のロジック』と呼びたいと思います。
もう一つが、文と文の『つながり』=『文脈』=『論旨』を『形』で追うことです。これを『森のロジック』と呼ぶことにします。

つまり、英文を論理的(ロジカル)に読むには、英文の『木のロジック』と『森のロジック』を同時に追いながら
読んでいく方法です。

『形』=『機能』である以上、それはだれにでも使える道具です。すこしのトレーニングで、すぐに使いこなせるようになるのですが、その説明は後日説明することにして、まずはその大前提となる英語ネイティブの思考様式を、しっかりと理解しましょう。

すべてはそこから始まります、英文の『木のロジック』も『森のロジック』も、彼らの思考様式の正しい理解があってこそ、初めて習得できるものだからです。


みなさん『三角ロジック』ってご存知ですか?



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http://www.logicalskill.co.jp/logical/triangle.html




上記のリンク先にあるのが『三角ロジック』です。
『三角ロジック』っていうのは、これから勉強する上で最も基本となる考え方をわかりやすく図にしたものです。

この『三角ロジック』は『ディベート』なんかの議論の時に使われる思考方法です。
ここで、『ディベート』って何?って思う人がいるかもしれないの説明しますね。

『ディベート』を簡単にいえば、『ある一つの命題をめぐって、賛成と反対の2つの陣営に分かれて、徹底的に議論を戦わせる知的ゲーム』です。

もちろん議論ですから、なんでもありのケンカではありません。よくverbal boxing『言葉のボクシング』にたとえられるように、ディベートには厳密なルールがあります。その根幹にあるのが三角ロジックです。

つまり、『ディベートのルールと英文のルールはまったく同じ』です。
三角ロジックは、英語ネイティブの『心の習慣』だからです。
英語ネイティブは無意識のうちに、三角ロジックにしたがって、ものを考えています。

ディベートというのは、このロジックを使って、いかに上手に話し、聞き、文章を書き、読むか、の具体的な方法なのです。英語コミュニケーションを煎じ詰め、純粋培養したものといってもいいでしょう。

ディベートの基本となる三角ロジックは、もちろん英語ネイティブの『心の習慣』であって、われわれ日本人の『心の習慣』とは全くちがいます。日本人の『心の習慣』については、のちほど説明することにして、とにかく、このロジックを知らずに英語ネイティブとコミュニケーションすることはできません。
ましてや、彼らが書いた文章を読むことなどできっこないのです。


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入試英語は『翻訳テスト』ではない? [英語長文]

さて、『速読』という名の杜撰な読解がある一方で、その対極をいく『意味論的』な英文解釈のアプローチも、いまだに多くの予備校でさかんに教えられています。

とくに構文系の授業で、「和訳問題では、直訳してはダメ!行間を読み、意訳しなければならない」と洗脳されます。

そして、その先生が一週間かけて考えてきた『翻訳』どきの美文(笑)を、生徒たちは必死になってノートに書き写しています。

あえて言います。こうした『意味論的』アプローチも、大学入試の本質から大きく逸脱しています。

『1分150語』と同じ、「このほうほうじゃなきゃ受からない」と生徒を脅かして、自分の授業を取らせるための、いわば霊感商法です。

たとえば、そのような授業では、Rain prevented me from arriving on time.は無生物主語だから、
「雨のせいで、私は時間通りに着けなかった」と訳すんだ、などと言われます。

しかし、この英文を「私が時間通りにつくことを、雨が妨げた」と訳して、0点になることは、100%ありえません。

なぜなら、入試英語は「翻訳テスト」ではないのです。そもそも、行間を読む素養や教養、翻訳者ばりの表現力が合否をきめるのだとしたら、すべてが「センス」ということになってしまいます。

もし「センス」で合否を決まるのなら、いったいどうやって民主的に答案を採点するのでしょうか?
誰にでもわかる明確な民主的な採点基準がない入試はもはや公平とは言えません。

では、大学入試における正しい英語長文へのアプローチとはどんなものでしょうか?
どのようにして英文を読んだらいいのでしょうか?


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それは、「構造主義的」な読み方です。言い方を返れば「意味」ではなく「形」=「機能」で英語を読むことです。


大学入試とは、言うまでもなく、大学に入る準備です。要するに大学の講義を受けるための「予習」の
仕方を学んでいるのです。

すこし難しくなりますが、今、大学でおしえられている学問の方法論は、すべて西洋近代で生まれ、発展したものです。

西洋近代を体現し、リードする国はアメリカですから、現在、ほとんどの学問の最先端の知見はアメリカから発信されています。

ですから、本気で学問しようと思うなら『学』のいかんを問わず、英語で文献をよむしかありません。

だからこそ、入試科目には必ず英語があるのです。
「翻訳があるじゃないか」と思うかもしれません。しかし。論文なり文献が翻訳の対象となるためには、それなりの評価を受ける一定の時間が必要です。

入学試験とは、一言でいうなら『入学後に講義やゼミの予習ができるか』を問うものです。
それが大学入試のすべてであって、それ以上のものでも、それ以下のものでもありません。

『意味論的』な解釈や、議論の内容についての学問的な考察は『予習のその先』、
つまり、大学の講義を扱うことです。それができるのなら、そもそも大学に行く必要などないではありませんか?

入試英語に、特別な人にしかできない意訳の『名人芸』などいりません。『だれが、いつ、どこで、どう読んでも同じ』読みからさえできればいいのです。

『民主的な読み方』、あるいは『最大公約数的な読み方』と言ってもかまいません。
「だれが、いつ、どこで、どう読んでも変わらないモノ」、つまり『形』=『機能』で英語にアプローチするのです。

そして、そうした読み方こそ、本当の意味での『ネイティブ的な読み方』です。





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入試英語に『速読』はいらない? [英語長文]

みなさんは、入試英語に『速読』は必要だと思いますか?

学校や予備校の先生たちは、『入試の英語長文は左から右へ、返り読みをせずに直読直解できなれければ
間に合わない』などと、みなさんもきっとどこかで言われたことがあるはずです。

予備校では、もっと具体的に『1分150語』とか『1分200語』と、もっともらしい目標スピードをかかげる講座まであります。


しかし、これは悪質な『出鱈目(デタラメ)』です。

理由は二つあります。

一つは、いくら英語ネイティブでも、すべての英文を『直読直解』しているわけではないということです。

考えてみてください。みなさんは日本語のネイティブですが、あらゆる日本語の文章を返りよみすることなく、
上から下へと読み下していますか?

どんな文章でも、変わらず一定のスピードで『速読』できますか?

一口に日本語の文章といっても、さまざまです。新聞もあれば雑誌もあります。
新聞や雑誌でも、硬派なものから芸能スポーツ専門のまで、ひとくくりにするのは不可能でしょう。

また、小説や物語もあれば、評論もあるし、エッセイもある。エッセイだって、タレントが書いたものから
難解なものまで、ピンキリです。

もしこの世に、「どんな日本語の文章も、同じ読み方で、同じスピードで読んでいる」という日本人がいたら、
是非一度お目にかかってみたいものです。

そもそも、評論や文学は、強靭な思考をともなう『精読』、あるいは、『味読』(じっくり時間をかけ、味わって読むこと)を前提として書かれています。

書かれた目的がちがうのですから、読み方もちがって当然です。何より、評論や小説を速読なんてしたら、
作者に対してあまりに失礼ですよね?

英語も同じです。たとえば『一分150語』―日本語で考えれば、こんなおかしな話はないのに、なぜ英語なら、そんなあたかも魔法のような方法があると思ってしまえるのか、僕には不思議でならないのです。


さて、入試英語に『速読』などいらないもう一つの理由は『大学入試とは何か?』という、本質的な問題とかかわるものです。



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みなさんは、実際に入試問題の語数を数えてみたことがありますか?
慶応大のSFC(総合政策学部・環境情報学部)は、日本で最も長く、抽象的で難解な英文を出題するといわれています。

そのSFCの長文で、総語数は訳2500語です。もちろん、選択肢(英語)もよまなければならないわけですが、それらを含めると、相互数は訳3500語になります。

「ほら見ろ、SFCは3500語!古臭い返り読みの精読では間に合わない!ネイティブのように直読直解するんだ!一分150語のスピードで読めないと受からないぞ!」なんて言われて、多くの受験生がコロッとやられてしまうわけですが、冷静に考えてみてください。SFCの解答時間は、120分です。

本文を読み切るだけなら2500÷120分で、一分訳20語。選択肢を含めても、3500語÷120分で、一分約30語。

わかりますか?ゆっくりでいいのです。つまり。大学は、受験生のみなさんに『一分150語』にようなスピードで読んでほしい、回答してほしいなどとは、これっぽちものぞんでいないということです。

ちなみに、一般の英語ネイティブにSFCの長文を読ませても、直読直解は不可能です。
もちろん、できる人もいます。現代文の問題を読み下し、一発で理解できる日本人もいれば、さっぱりわからないという日本人もいるのと同じことです。ためしにアメリカ人の高校生にSFCの問題をとかせてみても、ゆっくりゆっくり、何度も読み返し、迷いながら解答します。

つまり、『英語を英語のまま読む』と『直読直解する』は、必ずしもイコールではないということです。
「ネイティブのように読む」とは、ただ単純に「返り読みしない」ということではないのです。

大学入試に、「直読直解」はいりません。急いで読む必要などないのです。
ネイティブにできないことが、どうしてネイティブではない日本人にできるのでしょうか?

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